2008年5月5日更新
国立新美術館で2008年6月9日までモディリアーニ展が開催されています。アメディオ・モディリアーニは運刻斎の好きな画家の一人です。ほかに好きな画家は?と問われると
「ラファエルッロ」、「デューラー」、「ヴラマンク」、「マティス」、「ボナール」、「ホッパー」、「ワイエス」など支離滅裂ですが、運刻斎のいい加減な性格が反映されています。
先週のNHK教育テレビ「新日曜美術館」に出演していたDさん(某作家の令嬢)は「マティス」と「ルオー」が好きと仰っていたので運刻斎よりもさらにいい加減な
人が世の中には存在するということで安堵しました。今回の国立新美術館の展覧会は個人蔵の作品を中心にしていますので、モディリアーニの絵は詳しいつもりだった運刻斎でも始めてみる作品が多く出品されて
います。中でも「ピエール・エドゥアール・バラノフスキの肖像」や「シャイム・スーティン像」などは本当に貴重です。特にバラノフスキの肖像は当時のモンパルナスに住むボヘミアン
と呼ばれた人々の中でも伝説的な人物ですからモディリアーニの作品としてはもとより、歴史的な資料という見地からも珍しいものです。スーティン像はまだ無名の頃のスーティンが
膝に両手を置いて、暗い顔をして此方をにらんでいます。左手の開き方がちょっと奇妙です、まねの出来る人は試してみてください。モディリアーニはスーティンにフランス語を教えたと云われています。
個人蔵ではありませんが、伝説の作品「マリー・ローランサン像」もいいですね、文句なしに才色兼備のいい女!という描き方がすばらしいです。その他「黒い瞳の女」これは
まさに西洋の美人画ですね、、「キャフェ・コンセールの歌手」も傑作です、一見の価値がある展示会だと思います。
20世紀初頭のパリ、最初はモンマルトルで後にはモンパルナス近辺で活躍した芸術家たちは本当に面白い、彼ら自身が絵になります。時々彼らの様子を旧いモノクロームの動画で見ることが出来ますが、
その中には「藤田嗣治」もオカッパ頭で三輪車に乗っている脳天気な映像を晒しています。
さてこの稿の主人公であるアメディオ・モディリアーニは1884年にイタリアのリヴォルノという港町で生まれました。一家は破産したスペイン系ユダヤ人ですがモディリアーニ少年は
語学が堪能な母からフランス語を学んだとの事です。
病弱だった彼は14歳の時に地元の画塾に入門しましたが、肺結核の転地療養のためフィレンツェやローマ、ナポリ、ヴェネツィアと移動して、
1903年に開かれたヴェネツィア・ビエンナーレで、フランスの最新の美術に衝撃を受けたモディリアーニは1906年21歳の時にパリにやってきました。
モディリアーニはエコール・ド・パリの代表的作家などともてはやされていますが、注目されはじめたのは亡くなる1年前。その時代のパリでは
彼の作品は全く見向きもされなかったのですが、死後評価が変わり「近代絵画最高の画家」とたたえられるようになります。
モディリアーニの絵に登場するモデルたちはほとんど真正面から、さりげなく長い首を傾けて佇んでいますが、不思議なことにこれらの絵の前に立つと、
まず気になるのは「アンバランス」その1=キャンバスの中心から左にずれる、、その2=頭頂が必ずキャンバスの上端にぶつかりそうになる、、でも全体のバランスは
かろうじて安定に保たれていて、モディリアーニの観察眼の確かさとモデルとの人間関係がしっかりと構築されていることがわかり作者の主張を雄弁に語りかけてきます。
そうした作品自体の魅力に加え、モディリアーニの人気を支えているのが「悲劇の画家」としての側面ですね。これは1958年のフランス映画「モンパルナスの灯」が少なからず
影響を与えていると云われています。この映画はモディリアーニの伝記をジャック・ベッケルが映画化したものです。
まったく個人的な意見ですが、映画の中でジェラール・フィリップが演じたモディリアーニのすばらしさに依存する面が多いと運刻斎は思います。まったく絵が売れず、酒びたりの日々を送るイタリア人画家モディリアーニ、
彼を支えるのは女たちとポーランド人の友達のズボロフスキーだけ、モンパルナスのキャフェで「Je suis Modigliani,Je dessine votre portrait pour 5 francs=
私はモディリアーニといいます、5フランで貴方の肖像画を描かせて下さい」と酔眼朦朧の顔でお客の注文をとる姿、ジェラール・フィリップの発音は「ju」が良く聞こえない
ので「セェモジリアニ、デサンヴォレ、ポトレザンクフラン」と聞こえました。今回の展示会ではモディリアーニの写真も数枚展示されていますがジェラール・フィリップに似た?
なかなかのいい男です。
そして画学生のジャンヌ・ユビュテルヌと出会い、二人は恋に落ち、結婚を約束するが荷物を取りに家に帰ったジャンヌを待っていたのは、、と映画は悲劇的な展開をしていきます。
アヌーク・エーメ(ジャンヌ・ユビュテルヌ役)が美人でしたね、、ジェラール・フィリップのはかなさ、彼は映画の完成後モディリアーニと同じ運命をたどり、36歳で亡くなりました。映画が注目を浴びると同時に、
生前のモディリアーニの逸話も語られるようになりました。彼は「日常の憂さを晴らすように酒におぼれながらも高尚な精神を持った男、そして何よりも人を魅了するハンサム」だったということで
運刻斎と全く同じですね(笑)いえいえ運刻斎と同じなのは・・・日常の憂さを晴らすように酒におぼれ・・・るところだけですね(爆)そして映画では描かれていませんでしたが、
病死したモディリアーニを追ってアパルトマンから飛び降り自殺したジャンヌ・ユビュテルヌの事件もあって、モディリアーニは「悲劇の画家」と位置づけられてしまった様です。
脳天気で不真面目な運刻斎に比べてなんと云う不幸な天才であったか!!
国立新美術館には今回初めて行きました。ガラス張りにパイプがあって一見してパリのポンピドゥセンター(国立近代美術館)に似ています。
この絵は運刻斎が42歳のころ(男の本厄で大変でした)に大好きなモディリアーニを模写したものです、10号(Fサイズ)なのでモディリアーニが常用した縦長のキャンバスと比較すると横方向に余裕があるのがわかります。
先週復活したパソコン(マザーボード交換)と一緒に記念撮影をしておきました。最近は体力の衰えもあってあまり絵を描きませんが30代の後半から40代の中ごろまでの仕事が忙しい頃、月間100時間を越える残業
をしながら一生懸命絵を描いていました。大体夜の時間に描くことが多く好きなことには集中し、没頭する性格のためよく一睡もしないで描いていました。
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