2008年4月10日撮影



生まれてはじめて京都の二条城に行きました。 生まれや育ちは若干違いますが、運刻斎の先祖は長州です、ご存知のとおり山口県の東側半分は周防国、西側は長門国で、双方を あわせて長州と呼びます。運刻斎の祖先は周防国の東側の周東という地域で海賊を家業としていました(笑)現在では下松(くだまつ)市、光(ひかり)市 柳井市、熊毛郡田布施町、平生町と称される地域です。この地域は瀬戸内海沿岸で温暖な気候に恵まれて穏やかな性格の人も多いのですが 一方では血気盛んな人も多くハワイへの移民とか戦前の植民地への移住が盛んな土地柄です。実名は差し控えますが、この地域の出身者は 明治維新で活躍した人物、左翼運動の活動家、明治から昭和期にかけて(平成になってもひとり首相がいましたが) 政治家が多いことで知られています。そして長州藩は徹底した徳川嫌い、元旦のご挨拶で筆頭家老は殿様に「今年こそは 徳川を討ちましょうか?」と必ず奏上していたとのことです。噂だけなのかもしれませんが運刻斎は幼いころ祖父からよくこの話を 聞きました。それに対する殿様の回答は「うん今年はまだ早いかのぉ来年まで待とう」と305回繰り返したらしいです(笑)。というわけで幼いころの刷り込み は徹底しているため、還暦を過ぎても「徳川=仇敵」の図式は消すことができず、金ぴかの葵の紋章を見るだけで「あ〜嫌だ!!」ということになります。 未だに日光にも行ったことがないし、二条城は家康が築城したからという理由だけで敬遠していました。



昭和に入ってから植えられたという枝垂れ桜が立派に生長しています、樹木の数が多いのには圧倒されます。



花びらは赤色が濃くあいにくの雨降りでしたが色がさえていました、写真にしても綺麗な色が再現されています。